羽村民報 550号 2000.12.10

住民が主人公のまちづくり 湯布院町視察報告

 日本共産党羽村市議団は11月6日大分県湯布院町の視察を行いました。その報告をします。
 湯布院町は人口12,000人足らずの小さな温泉町ですが、大変人気があり、年間400万人が訪れています。「ゆふいん音楽祭」や「湯布院映画祭」などでも全国に名が知られ「一村一品運動」の先頭事例そして数少ない成功例としても有名な町です。また、住民が中心となったまちづくりをすすめてきた町として自治体関係者から注目を集めている町でもあります。
 私たちは視察先の湯布院町役場で総務課の行政担当主幹河野隆義さんに話をうかがいました。
 1955年2月、由布院町と湯平(ゆのひら)村が合併して湯布院町が誕生、初の町長選挙で当選したのが岩男頴一(いわおひでかず)氏。当時36歳の青年医師で、町の青年団長としてダム計画反対運動をリード、議決までされていたダム建設をストップした人でした。岩男町長の実現で、みんな自らの手で何かをつくっていこうという気風がうまれたとのことです。
「住民が主人公」があたりまえ
 河野主幹は「この町では町おこしも自然保護・景観保護の運動も住民と行政がいっしょになって進めてきた。住民の声を聞かないと行政がなりたたない、そういう気風ができあがっている。そこで、マスコミは住民主導というけれど、行政もやるべきことをやってきた」と強調します。
 この町では行政が住民の意見を聞く、というか問題を投げかけるとき白紙でのぞむとのこと。いま由布院温泉で一番の人気スポット金鱗湖につながる道が大混雑、何とかしなければと住民に投げかけると、住民が集まってさっそく通行量調査を始めました。町役場に金はないだろうとボランティアで始めたというのです。
環境をまもる運動では
戦後、朝鮮戦争が勃発し、日出生台は米軍基地となり、町はたちまち赤い灯、青い灯がたちならび、娼婦がまちにあふれました。住民は「別府のマネはしない」「ピンクムードのまちにしない」とムラを守る運動がおき、規制ができないので「いかない運動」をした。
湯布院の玄関口、城島高原の猪の瀬戸にゴルフ場の計画がもちあがった。それは湯布院から離れた別府市の領域だが、「お客さんが別府から湯布院にくるまでに眺める景色がだいなしになる」と別府・湯布院を知っている著名人100人からアンケートをとったり、住民の自主的組織「湯布院の自然を守る会」がうまれ幅広い反対運動を展開しゴルフ場建設を阻止した。
9階建てのビル建設計画が出て、「ゆふ岳が見えなくなる」と反対運動がおき、計画変更をさせる。町も「潤いのある町づくり条例」をつくり、近隣の同意が必要、空地率を守るなどを義務づけ、規制にのりだす。
 といったぐあいに住民がおこした運動はことごとく成功をおさめたそうです。
まちおこしでは
1969年岩男町長が国際会議でヨーロッパに渡り、西ドイツの伝統的保養温泉地を視察する。71年その過激な報告に感動した若い旅館経営者3氏が借金してヨーロッパに出かけ、50日にわたって同地を見て歩いた。おおいにカルチャーショックを受けた彼らは、帰国して町づくりに走り回った。彼ら民間団体が事業資金をもって公の団体にはいってゆき、そこで事業を計画する。実施する。また町の外の物や人を町の中にひっぱってきて、町と一緒にひとつのプロジェクトを組み、催事に仕上げてゆくなどなど。こうして猪鹿鳥料理が生まれ、町の刊行物が全国表彰され、人脈が伸び、映画やテレビ、新聞等に町名がのぼるようになった。
こうしたなかで全国的に有名になったもののひとつが1972年に始まった「牛一頭牧場運動」。稲作の機械化で農耕牛が減り、牧草の生えていた原野に開発の手が入り始めた。原野を守るために牛を飼おう。都市に住む人たちに一口20万円で畜主になってもらい、利子代わりに湯布院の特産物を毎年贈る。そこに都市と農村の交流も自然に生まれる。まさに一石三鳥の知恵で、運動は広がり、110人を超えるオーナーが集まった。75年からは牛のオーナーと畜産農家の交流の場として、牛喰らい絶叫大会が始まった。草原でバーベキューを食べて、思いっきり絶叫するというユニークなイベントも話題を呼んだ。
オイルショックに追い打ちをかけるように1975年に大分県中部直下型地震発生、湯布院町も50億円の被害。「湯布院の旅館が全部つぶれた」というニュースが全国に流れ注目されたが、それもしっかり利用するのが、湯布院の住民のしたたかさです。辻馬車を走らせ、「ゆふいん音楽祭」「湯布院映画祭」を始め、マスコミをうまく活用して、震災後の健在ぶりをPRした。
 それから「一村一品運動」の成功例として押し上げられ、各種の賞の受賞でますます有名になり、観光客もどんどん増えていった。
1987年リゾート法(総合保養地域整備法)が施行。
湯布院町はそれまでも自然環境保護条例、モーテル類似施設等建築規制条例、住環境保全条例などつくり環境保全に努めてきたが、リゾート法一発がそれらを簡単にぶっとばしてしまった。有名な農村観光地湯布院町にもリゾート資本が殺到。一反一億円のたんぼが出現、農家は農地を手放すなど、住民主体のまちづくりが危機を迎えまる。大慌てで対策が練られ、「90人委員による基本構想づくり」が始まり、4ヶ月あまりで環境保全の新しい条例「潤いのある町づくり条例」ができた。全国から賛辞と注目が集まった。
湯布院町のこれからは
 町政要覧で町づくりのリーダー中谷氏が「農産物を始め、木工、竹工、染色、織物等、あらゆる生産、加工の技術を守り立てなければ、湯布院町には未来はありませんよ。そのためにこそ『地場市場』が必要なんです。そして地場市場が成り立つために必要な『仕組みづくり』が『町づくり』なんですよ。」と語っています。湯布院町ではそういう『町づくり』がうまくいっているかというと、そうともいえないようです。観光客は増え続けていますが、農業人口は減る一方、生産にたずさわる第一次産業人口も減り続けています。
 「生活観光地」「農村観光地」「保養温泉地」を名乗り、周辺の歓楽街型観光地と一線を画し続けてきた湯布院町でも、農村と観光の断絶がすすんでいます。これから町をあげて、町内で孤立して立てなくなっている各種の魅力、能力、物、人、風景等を「結び合わせ」なければいけない。一村一品とは地域の中の「モノ」と「ヒト」が次々につながって、経済と文化の連環がゆくこと、域内連環ができればオカネはその地域で幾倍にも渦を巻いて効果するし、文化もその渦のなかでみがかれてゆく。そのためにも町は外に「開かれて」いなければならない。内に「むすんで」、外に「ひらいて」ゆくために、暮らしの現場に降りていってあらゆる「手をうつ」それが町の行政の仕事だ・・・と中谷さんは語っています。
ひとづくりは
 湯布院町の特徴は「町づくりグループ」と呼ばれるような簡単な組織で動くものではなくて、いろんな仲間が勝手に芽吹いて、勝手連ふうに元気に動いていることです。「ちょっと集まろうよ」みたいなかけ声をかける人がいっぱいいる。いろんな元気のいい人がたくさんいて、親分子分の関係でひとつに統括されていないとのことです。
 湯布院町では「人材育成ゆふいん財団」が発足し、世代を越えた異業種の交流の場を子供たちに与えることに取り組むなど、民間主体の幅広い人材育成事業に取り組んでいます。
 元気な町といっても他の自治体と同じような課題をかかえている湯布院町が、これからどんな「町づくり」「人づくり」を展開するのか、これからも湯布院町から目が離せません。

中原議員のホームページに載せたものをかなり短くしました。興味のある方はホームページをご覧下さい。
http://members.aol.com/hamunaka/

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